静かな田舎町に、調子の外れた鐘の音が響き渡ります。
この町の唯一の名物”傾いた時計塔”が「~時ゼロ分」と告げているのです。
耳の後ろで突如始まった大音響に驚いた日本人が、
立ち入り禁止の最上階から慌てて駆け下ります。
クアラルンプールから空調過剰サービスのバスに乗って2時間半。
新興住宅地も工業地帯も車窓から消えると、
あとはジャングルとジャングルのような大規模プランテーションだけの緑の海が広がります。
その樹海の中に、ぽつんと島のように浮かぶ町がトゥルッ・インタンです。
ちょうどΩ字型に三方を川に囲まれたこの町は、実際島のようなものでしょう。
外国人旅行者など滅多に訪れることのない町ですが、
カメラを持った日本人が歩いていても、別段珍しがられることもありません。
田舎といえども、多民族国家マレーシア。
マレー人、華人、インド人が隣り合わせて暮らしているからだと思います。
この日本人、つまり僕も中国茶室の2階に泊まり、
マレー料理を食べ、ヒンドゥー寺院の軒先で午後の暑さを凌いでいるのです。
繁華街というにはあまりに静かな時計塔広場から、僕は散歩を始めます。
食堂やスーパーマーケット、服屋や電気屋を冷やかしながら、5分も歩くと住宅地です。
花咲く静かな道。
ブーンと遠くでバイクの走る音。
どこかの家から聞こえるタミルポップス。
なぜか間近で聞こえる燕の鳴き声。
モスク、ヒンドゥー寺院、関帝廟もそこかしこにあるものの、
昼間は放置されたように静まりかえっているのです。
バナナやパパイヤ、マンゴーを育てている果樹園に人の姿はなく、
久しぶりにヨソモノを見付けた番犬がちょっと吠えてみるだけ。
川辺に出ると、マレー半島らしい風景に出会えます。
平坦なジャングルに、蛇のようにウネウネと曲がりくねった泥川が寝そべっています。
静かな流れは、しかし、なかなか速く強い流れでもあることを
桟橋に次々ひっかかるホテイアオイが教えてくれます。
川面には、小舟を浮かべて釣りをする親父がいて、
川辺には、茶店や祠や子供がガジュマルの気根の下にあります。
渡し舟で町の外に出ると、いよいよ静けさも極まってきます。
ほとんど人の通らない道の両側には、油椰子園がはてしなく広がっています。
整列して植えられた椰子の木が、宮殿の列柱のようにそびえ、
内部に入るとまるで巨大な遺跡にいるような錯覚にとらわれます。
椰子宮殿の外は、燕の声が町にいるときよりも大きく、近く響いています。
4~5階建てのコンクリートのビルで燕を養殖し、巣を採っているのです。
コンクリート壁のところどころに開けられた窓がスピーカーとなり、
数千羽の燕のせわしなく鳴く声がジャングル中に響き渡ります。
燕の歌に、やがて遠くで轟く雷鳴が加わり、
僕はスコールが近づいていることを知ります。
川辺の東屋でミロを飲みながら、僕はスコールが過ぎるのを待っています。
マレー人の若者がなにか話したそうにしているのですが、
彼の拙い英語を聞きつつも、僕は涼しい風と疲れでベンチに眠りこけてしまうのです。
川岸にじっと座っていると、1mを超えるオオトカゲが音もなく現れたりします。
マレーシアの猫はよくしゃべり、よく食べ、よく寝ます。
日が沈むと、町はようやく活気付きます。
時計塔はLEDでライトアップされ、
ナイトマーケットではサテーやカキ氷、コピー商品で賑わいます。
中国寺院を覘いた僕は、中でカラオケを熱唱する老夫婦に呼ばれ、
延々と歌謡曲を聞かされることになるのです。
時計塔はまた、思い出したようにキーンコーンと何時かをお報せするわけですが、
このジャングルに囲まれた町では、
あまり役に立っていないように思われるのでした。
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